命もいらず 名もいらず〜激動の時代をいかにして"良く"生きるか
幕末の武士として
屈指の剣術の腕前に加え、禅で培った精神性を以て
言論思想ではなく、その生き様で、
揺れる時代に楔を打とうとした人という印象であろうか。
山岡鉄舟が表舞台に出る場面は大きく二つある。
一つ目は、江戸を戦火にさらさないため、
100万の民衆の命と徳川家の命運を背負い新政府軍を突き進み西郷隆盛に謁見、説得。
二つめは、剣術の腕前に加え人間性、思想を見込まれ
激動の時代を迎える明治天皇の侍従として時には教師として時には親のようにその任を勤め上げた。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
とは山本常明の記した『葉隠』にある有名な一節である。
どのようによく死ぬことができるか。
いつ死ぬかわからない生涯において、
自分の望む場面で望む状態で死ぬためには
そこにふさわしい生き方をしなければいけない。
よく生きるためによく励む必要がある。
という意図によるものである。
この言葉は文面上理解できたとしても、
その真意までを理解することは難しい。
きっとその真意の理解は
本当に「よく死ぬためによく生きた」人しかできないのだろう。
ただ、その入り口がどの方面にあるのかという部分を
感じさせてくれる存在の本だと思っている。
鉄舟が鉄舟たる所以、
幕末に多くの人の心を引きつけ、
次の引用の部分に凝縮されていると思う。
「--精神満腹なにはなくとも、おれはその伝で行こうと決めた。懸命に生きていさえすれば、負けて、這いつくばり、なんの誉れがなくてもかまわない。負けることが悪いのではない。全力を尽くさなかったことが悪いのだ。だから、つねに全身全霊でことに当たる。そうすれば、満ち足りる。日々、満ち足りた精神で生きていくーー。」(下p.211)
今のこの時代も幕末期とは比較できない軸での激動を迎えていると思う。
ただ、複雑性と多面性が大きいため明瞭ではない。
引用をもう一つ。
「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は かはらざりけり」(下p.297)
政治やテクノロジーの力によって、日本は大きく変わるかもしれないが、
その大元は変わらない。
古いものが新しいものにアップデートされて行く。
ただその軸はどこにあるのか、
必要なことはリニューアルではなくアップデートして行くこと。
その基盤となりうる示唆を、
鉄舟の生き様と山本兼一さんの文章より得ることができるのではないだろうか。