“お金”はなぜ“偉い”のか>>『貨幣という謎~金と日銀券とビットコイン_西部忠』
“お金”は“偉い”。
店と『お客様』の関係
受注者と『発注者様』の関係
商品やサービスを受け取る側よりも『お金を払う側』が圧倒的に優位な関係
本来であれば、サービスを受けるにあたって、
物々交換の代替品として“お金”を用いているはずが、
なぜこのように一方的になってしまうのか。
それらを考えるにあたって、そもそもお金=貨幣とは何か??
をわかりやすくまとめた本がこちら。
「商品は貨幣があってはじめて商品となる」と語る。
お米は「食べる」ことも日本酒などの材料として「使う」ことも
他の物との「交換」に使う事も出来る。
一方、貨幣は“貨幣”という機能以外を持っていない。
その為、交換に使うことしかできない。
その交換にしか使えない“貨幣”に置き換えられて初めて、
お米は商品として機能出来るようになる。。
何とでも“貨幣”を通して変えることが出来るその万能性において、
貨幣の有意性がみなされている。
一方、貨幣の有用性が広く信じられているからこそ、
貨幣の多い・少ないが指標となってヒエラルキーが決まってしまう。
コミュニケーションが「貨幣さえ払えばいい(相手も嬉しい)」という価値観のもと、希薄になってしまっている。
裸の王様は子どもに「裸である」ことを指摘されるまで、
裸のままでも偉かった。
それは、王様は偉いという価値観をみんなが共有していたから。
現在の貨幣はちゃんと服を着ているのだろうか。。。
普段のお金(貨幣)の支払いや存在に関して、考えてみたい方にお勧め。
ビットコインも投資対象以外の目的で使われるフェーズに早く来ると良いなと思う次第。